20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

自分の特性について

4月を年の初めと考えることもあれば、元旦を年の初めと考えることもある日本であるが、改めて自分は

「海外の影響をどれだけ受けているか」

「海外と比較した時の自分(自分の置かれている環境)がいかほどなのか」

ということがモチベーションの源泉、トリガーになっているなと感じている

それは良くも悪くも、日本人が日本というマーケットにおいて日本人に対して行うアクション(ビジネス然り社会的なムーブメント然り)に対してはなかなか興味が湧きづらく、関わりたいと思いづらいことを意味するし、逆に少しでも海外の影響(経済なり政治なり文化なり)が見られる事象やビジネスには、たとえ自分の理解が足りなかったとしても「なんとか一矢報いることはできないだろうか」と思ってしまうのだ

これは考えるよりも先に思っている、手が動いている感覚に近くて、これを自分の特徴、才能と呼んでいいのなら、大切にしたい感覚だと思っている

なぜそれらのことに敏感なのかというのは何となく察しがついていて、僕自身子どもの頃から長く海外で時間を過ごす中で、「周りに置いていかれたくない、周りの人たちの興味関心事についていきたい、理解したい、理解しないと仲間はずれにされてしまう」という一種の強迫観念と好奇心が入り混じったような感覚が根付いているからなのではないかと思っている

もちろん純粋な興味関心というのもあるが。

ただある種の「おいていかれてたまるか」というような負けず嫌いなところというか勝手にライバル視しているようなところが、結果的に本能的なアクションにつながっているので、良しとしたいと思う

理由はなんであれ、行動することに意味があると思っている、いや、思いたい

そんなこんなで、例えばこういった「海外に対する謎のライバル心」みたいな感覚を持っている人が同じ日本にどれだけいるのか分からないが、少なくとも僕の周りには思っているよりも少ない印象だ

もしこれが武器になるならありがたい

自分で努力せずとも、ある意味自動的に発出してくれる能力というか才能というか。

この能力?才能?感覚?をもっと研ぎ澄ましていきたいと思う

プロジェクトプロデューサーになるぞ

自分の足で立つ

次なる人生の目標であるような気がしてた

今は雇われの身だし、人に使われる身であるから、なおさらそう感じているのかもしれない

個人事業主、起業家、経営者等、自分や組織の人生をビジネスの部分でドライブする役割は興味がある

僕は車の運転が結構好きな方なのだが、同乗者がいて、あのせまい空間、あの長い距離の移動時間のうちに、どれだけ楽しい時間や快適な時間を過ごせるかという意味で、なんとなく組織やチーム運営とかに通ずる部分があるのではないかと思ったりしている

僕が車の運転が好きなのは、どちらかというとそういう一緒にいる人といかに楽しむかとか、いかに快適な時間を過ごすかとか、そういう部分に頭を使うことが好きだということの現れかもしれない

今そういう人材は求められているのだろうか

プロジェクトマネジメントとしか今の世の中表現する言葉がないのだろうか

マネジメントしたいというよりもプロデュースしたいという感じなのかもしれない

プロジェクトプロデューサー

未だそのような職種は聞いたことがない(プロジェクトプランナーとかディレクターとかマーケターとか、PMとは異なる呼び名でもう少しニュアンスが近い職種はあるかもしれない)が、イベントプロデューサーとか番組プロデューサーとかは一般的に使われるので、今後もっと広がってもおかしくないと思っている

まあ言葉の表現は一旦置いておいたとしても、やはり僕の中でアンテナが向く方向というのはそういうところだ

誰と何のために車に乗っているのかという本質的な問いはあれど、ひとつの場所に集まって、ひとつの目的地に行こうとしている集団がいれば、そこにはいわゆるプロジェクトプロデューサー(プロジェクトマネージャーよりももう少し右脳的で、プロジェクトを進める上で必要なチームを健康に保つとか、仲間同士の学びを促進するとかも含めて、プロジェクトつまりは車での移動時間と空間両方の中身を充実化させるような役割の人)がいてもいいし、いるべきだと思う

時には目的地とは違う場所に寄り道することもあるだろうし、たまたま通りかかった素敵な場所で予定外の休憩をはさむこともあるだろう

その方がむしろ人間的だし、最終的な満足度にもつながるだろう

ドライブもビジネスも、また一緒に移動したいと思ってもらうことが大事なので、そのつもりである

出発前の準備として、誰とどこに行こうかが決まって(時には東西南北くらいしか決めずに出発してみることも楽しいだろう)、いざコンビニでコーヒーでも買って(必要なリソース集め)出発だ

 

遅めの去年の振り返り

この1年ちょっとの間、転職したというのもあるが、仕事に向き合ってたら自分と向き合うのを忘れてしまっていた気がして、今それを改めて思い起こしたり、取り戻そうとしている

それは日々の仕事はやりつつも、やや自分の興味のあることや仕事とは直接関係のない夢想や想像に時間を割くといったような、外から見れば大変些細な変化であり、アクションだと思う

ただ、自分の中ではやはり何かバネを伸ばし続けたので、少し縮めて、自分の土地勘のあるエリアで活動したいというか、上に伸ばすより下に深掘るようなアクションを取りたくなっていて、頭の中だけでなく、体ごと動きたいと感じている

去年はある意味自分を大切にしなかったと思う

意図的にそうした部分もあって、良い事ももちろんあった

ただ、それで傷がついたり、疲れが溜まったのもまた事実であり、自分を大事にしたいのであればそこにも耳を傾けるべきだと思う

やや利己的な記事かもしれないが、まずは自分に感謝だし、自分にお疲れさまと言うべきタイミングだなと感じた

これは同時にネクストチャプターの開幕とも言えるので、良い意味で去年の自分を反面教師として、今年もやっていくぞ

未熟者

自分には自分の進むべき道があり、故にいつどんな時も自分の気持ちに耳に傾けることができないといけない

周りでどのようなことが起きていても、それを冷静に受け止めて、周りとの調和を重んじて、決して人を傷つけたり、ましてや自分で自分を傷つけたりすることなく、広い心をもってそれを理解していかないといけない

全ては自分の捉え方次第とも言える

自分は人のことが言えるのか?

自分は誰かを一切そのような気持ちにさせたことがないと言えるのか?

自分はそのような気持ちで人の幸せを本当に願うことができるのか?

少なくとも今の自分は、そんな人のことをとやかく言う資格はない

人の喜びを自分の喜びとして捉え、人の悩みを自分の悩みとして捉える

それができないといけない

それができて初めて自分の本当の気持ちにも気づくことができよう

そして自分の歩んできた道を恥じ、自分の歩むべき道を見つけることができよう

それが僕の生きる道、それが僕の歩く道

いい歳して、まだまだ中身は未熟者である

残念ながら

頭の良さと性格の良さは連動していない

頭良くても性格悪い人はいっぱいいるし、そうならざるを得ない状況というのも存在する

頭良いのに残念だ

頭良いからそうなるのか

頭が良いだけに理屈や理論をこねくりまわして口八丁手八丁でやんややんや、、、

とまあそんな組織や人物がこの産業構造、社会状況だと発生するかもね

ということだ