20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

恐怖⁉︎「パレートの法則」は永続トラップカードになりうる

知ってる人も多いと思うが、パレートの法則というものがある

80:20のの法則ともいわれる

何事も全体の80%はどうでもいいことで、実際に大事なのは残りの20%にすぎない、という考え方である

 

僕はもうすぐ、現職よりも興味・関心のある分野で仕事をすることにチャレンジをする予定で、少しずつではあるが、自分の時間や努力を注ぎ込むべきところに注ぎ込む準備ができているのではないかと思っている

 

僕は今までまさにパレートの法則で言うところの、

 

大事だと分かりきっている全体のわずか20%の部分に取り組むのを敢えて回避して、大して大事じゃない(もしくはその20%の大事をどうするか次第でどうにでもなる)部分に向き合っていた

 

のかもしれない

 

そしてさらに、今僕は人生において大事じゃないその80%が「すべて(100%)」になってしまっている気がするから不安なのだ

言い換えれば、自分にとって大事じゃない全体の内の80%がいつのまにか自分の中で100%になり、一番大切な20%を切り捨ててしまっているのではないかということだ

(ちなみになぜここでわざわざ言い換えたのかは自分でも謎である)

 

意味のないことや無駄だと思われることにも全力を出すことができるってある意味すてきだと思うけど、それは自分にとって意味のあることに全力を出しているという前提の上での話だと僕は信じている

 

また、人生に無駄なことなんてひとつもないという言葉もよく聞くし自分も好きだけど、これは時に遠回りしているだけの自分をただ甘やかすマジックワードにもなりかねないから解釈の仕方には注意を払った方がいいと思っている

 

さて話を元に戻すと、

パレートの法則から見える罠っていうのはつまり、

これまでの僕のように「自分にとって重要じゃないから逆にとりかかりやすいと思って、その大事ではないことを先にやり始めたが、それに全力を出しすぎてしまい、後回しにしていた大事なことがいつのまにかすっかり頭から消えてしまい、いつまで経っても自分にとって一番大事な部分に辿り着けない状態に陥ってしまうのは罠」ということだ

 

そしてさらにもっと恐ろしい罠は、

「大事ではない80%のことが自分を支配し、自分の中でそれが全て状態(100%)に成長したのち、そこからさらにパレートの法則を適用しようとする」

ことである

そうなると、そもそも大事じゃないことしかやってないのに、その中でもさらに大事じゃない80%の部分に全力を注ぐことになる。そして、いつのまにかまたその80%が自分の中で100%にまで成長する。でまたパレートの法則を適用して…

というパレートの法則の無限ループにはまってしまい、終いには

「ガチで自分にとって大事じゃないことしかしてない人」

に自分でも気づかないうちになってしまうのだ

 

この話を思いついたときに、なぜか昔遊んでいた遊戯王の紫色のトラップカードを思い出して、

あぁ、僕は「パレートの法則」というフィールドに存在する限りライフポイントを毎ターンガリガリ削っていく永続トラップカードをなぜか自分に対して発動しようとしてたな。。

と思ったのだ

 

ということで、僕はこれから仕事もプライベートも最大限その「人生で大事な20%」のみに注ぎ込む所存で、そこに全力を注いでいきたいと思う

 

でもよく考えたら、このパレートの法則という罠が発動し続けると、自分にとって大事じゃないことの真理みたいなところに行き着くかもしれなくて(例えば東京都港区の道に落ちてる髪の毛の数とか数え出しちゃったりして)、

「この人マジ救いようのないくらい大事じゃないことしかしてないわ」

ってなって、逆にめちゃくちゃ脚光を浴びてレジェンドみたいになれるかもしれない(笑)

 

それはそれで「遠回りして大事なことに気づいた」ということになって、パレートの法則でいう自分にとって大事な20%に辿り着くという何ともコミカルでパラドキシカルな結末が待っているかもしれない

 

内容がめちゃくちゃになってしまいましたが、世の中に当たり前のように広まってしまっている理論や考え方についても、改めて自分なりに考えてみるとまだまだ解釈の余地があって面白い

 

自分にとって大事なことを突き詰めて自分の人生に勝つのか、自分にとって大事じゃないことを突き詰めて人生に勝つのか、人生はどう転んでも面白くできると思う

すべて自分次第で