20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

本を通して見る人生②

前回の記事で、僕は本を読むのが好きだと書いたが、本そのものが好きということも書いた。

これは今もそうで、電子書籍が便利でお得で省スペースで…というのは重々分かっているし、実際Kindleも使ってはいるのだけれど、やっぱり紙の重みを感じながら、自分の手であの薄い紙を一枚ずつ丁寧にめくりながら、そこに印刷された文字や情報を追いかけたいという思いが強い。何となくだが、その方が読了感というか読み進めてる感を感じれて個人的には良い。

 

さて、そんなこんなで海外で過ごした高校時代も、事あるごとにというか、日本に帰るたびに日本語の本を買い漁ったり、見た目やデザインだけで選んで現地の本を買ったりしていた。

日本に帰国後、大学に入ってからはまたまた大学の図書館に魅了され、とにかく本を借りつつ、ブックオフも含めてだが古本屋巡りにハマり、色んな本を入手していた。

今手元にある本の多くは中学と大学時代、そして大人になってから買い進めたものが中心であるが、自分のバイブル的存在の本は学生の頃に手に入れたもの(読んだもの)が多いかもしれない。

それも意外と本屋さんでふらふらと物色していて、たまたま偶然タイトルやら本のデザインやらに何かしらビビッと惹かれて買ったものが多いかもしれない。

あと学生時代に特に無知の状態で買った本が、普通に名著だったり、有名な作家だった、みたいなことも結構あって(これはただただ自分の知識不足である)、今になって改めて読み返したりして、当時は感じれなかったおもしろさというか理解を得ることも多々ある。

 

僕はある時から何故かマンガを読まなくなり、雑誌は読むが、文庫本や新書が中心となった。

同じ時期くらいにテレビゲームも自然とやらなくなって、もちろん趣味嗜好が変わったといえばそれまでなのだが、家電量販店のテレビゲーム売り場やブックオフやゲオのゲームコーナーにあれだけワクワクしていて大金も注ぎ込んだのにいつの間にかその熱が冷めていったのである。マンガも同様である。

 

中学高校あたりは、それこそ東野圭吾とか小説を中心に読んでいたが(ダレン・シャンにめちゃくちゃハマった記憶がある)、大学に入ってからは、受けていた授業や日常的に求められる一般的な教養の影響もあると思うが、ちょっと難しい新書やいわゆる文豪といわれる夏目漱石谷崎潤一郎などの昭和の有名作家なども読んでいた記憶がある。

また、昔から好きだったさくらももこは引き続き読みつつも、民俗学文化人類学、日本文化論などに興味が出たので、柳田國男を筆頭に、折口信夫から南方熊楠から菊と刀ルース・ベネディクト)から新渡戸稲造から昔の本を色々読んだ。

就活時期にはビジネス書や自己啓発書も読むようになっていた。7つの習慣をはじめ、海外作家の翻訳本が人気だったように思う。

海外作家といえばヘルマン・ヘッセ魯迅コナン・ドイル(シャーロックホームズ)などもよく読んだ。

 

こう考えると、もっとこういう作家も一般教養として読んでおくと良いかもよと今なら当時の自分に言ってあげたいところだ。

残念ながら当時あまりそういう感覚が無かったためとにかく気になった作品や作家を追いかけていて、あまり周りの目や一般教養みたいなものを気にしていなかった。

そこは反省点だろう。