走りながら考える
今風の生き方というか働き方でよく例えに使われると思う
考えてから動くのではなく、まずは動くこと
というのもよく目にする
これらはどちらもこのVUCAな世の中を生き抜く術みたいな感じで語られる
だがしかし、個人的にはとても難しいというか、じゃあ一体どれだけの人が本当の意味で走りながら考えられるのか疑問を感じている
また、考える前に動くことが本当に常に正解なのかということにも疑問を感じている
自分自身の性格もあるかもしれないが、例えばひとつの社会や組織で見た場合に、やはり走る人と考える人は分かれていた方が効率が良いように思う
これは決して考える人は走らなくて良い、走る人は考えなくて良いという意味ではない
ただ考える⇆走るの切り替え時にはとてもエネルギーが必要だ
静⇆動の切り替えのように、考えている人に急に走らせるのも、走っている人に急に止まらせて考えさせるのも、非常に負荷がかかる
その先に成長があるかは疑問だ
下手したら走っていた人は急にブレーキをかけようとすることで体に負荷がかかって故障するかもしれないし、静かに考えていた人は急に走って足腰を痛めてしまうかもしれない
それこそ今回のコロナの一連の対応で世界的に皆に負荷がかかった
普段の社会活動や企業活動においてもまさにそうだと思う
ソフトランディングできるに越したことはないのだ
だが、個人の活動でいうと、例えば勉強であったり転職であったり、一定の期間はぐぐっと自分に普段よりも負荷がかかるというか、負荷をかけるべき時が来たりする
それはでも個人、つまり自分自身が受け入れたならそれで良い
覚悟を決めて臨めば良いだけだ
しかし、複数人でこれを行うことは難しい
なぜならみんなその時の心身のコンディションが異なるし、それぞれが標榜する未来や進路が異なるからである
多様性を認めようとするとき、この静⇆動、考える⇆走るの切り替えは非常にリスキーな判断であるということを肝に銘じておこう