多様性と曖昧性というのはセットになるのかもしれない
多様性を認める、もしくは求めるということは、一種の曖昧性を認め、求めることにつながるのではないだろうか
例えば色で考えてみると、多様化するというのが白黒だけでなくグレーやオフホワイトみたいな色味も選択肢に入れるということなのであれば、白黒はっきりさせるという響きが良く、切れ味の良い言葉との相性は悪くなる
グレーやオフホワイトといった中間色、一種の曖昧な色がより良いモノを作ったり、より深みのある景色を作り出すために必要であることがわかった今、白黒だけで全て物事を語ること、全てを白黒のどちらかに分類することはナンセンスとなった
しかし、それと同時に白でもなく黒でもないものを受け入れるキャパが求められるようになった
キャパではなく、リテラシーといっても良いかもしれない
黒でも白と言わないといけない時代みたいなのもあったのだろうか
その時代よりは良くなっている気がする
ただ、白黒で回っていた時代から比べると、今の時代を生き抜くのはよりタフネスが必要とされるかもしれない
当時はそこまで必要とされていなかった新たなリテラシーや知識、教養
これについていかなければいけない