近所で新築住宅の工事が行われている
そこで年配の職人さんが、若い職人さんに「ちょっとあれ取ってくれ」だの「それやる前にあれ運んでこなくちゃいけねえだろ」と、自分の手を動かしながら、テキパキと指示を出している
若い職人さんは分かったようで分かっていない様子、先輩の様子を伺いながら何となく作業をこなしている
そこでふと思った
あれとかそれで伝わる技術やノウハウは、これからもきちんと受け継がれていくのだろうかと
阿吽の呼吸みたいなものは、これからますます人の多様性や環境変化の早さが叫ばれる中で、きちんと双方の誤解無く育まれていくものなのだろうかと
歳を重ねると言葉が出なくなってきてしまうのは確かにあることだし、目上の人の分かっているでしょ前提でこられたときに当たり前のことを聞きづらいと若い人が思ってしまうことも確かによくあることだ
しかし、その貴重な経験やノウハウや技術を「継承する」「形に残す」上ではお互いの努力が必要な気がする
伝える努力と理解する努力である
どちらが偉いとか、どちらがより分かっているとかいうことでもない気がする
はたまたコミュニケーションが足りていないというわけでもないと思う
お互いにお互いを思いやり、分からないかも知れないと思うことはあらかじめ丁寧に説明してあげたり、分からないことは分からないままにせずにすぐ聞ける環境と関係性を築くことが大事なんだろうなと思う
こういう阿吽の呼吸とか暗黙の了解みたいなものがこれまでの日本の文化の中で重視されているのだとしたら、このスピーディーで変化に富む現代の世の中のやり方に合うように、少しその方法や考え方を見直していく必要性を感じた