http://20to30.hatenablog.com/entry/2020/04/20/233746
以前書いた自分の人生戦略考を更新したい
前回も少しふれたように、僕は自分の人生戦略を考える上で大事なポイントである、
①自分は何をしたいのか
②自分はどのような人間になりたいのか
という問いは、
①'自分は他人に何をしてあげたいのか
②'自分は他人からどのような人間だと思われたいのか
という問いに変換して考えることができると思った
自分の目で自分の人生についてここ何年も悶々と考え続けてしっくりくる答えが見つからなかったから、ここはやはり他人の目を借りて自分の人生について考えてみようと、改めて最近は思っているのである
ただ、そこで僕の中で問題になるのは、その問いにおける「他人」とは誰のことなのかということだ
ざっくり「他人」と言ってもいまいちイメージがつかない
僕以外のすべての人?いや、それじゃあ対象が広すぎる
僕の知っているすべての人?いや、それでもまだ広すぎる
僕が普段仕事している人や付き合いのある友人?いや、別に全員に何かしてあげたいことなんてないし、全員に同じように思われたいとも思わない
Who is 他人?
そこで僕はふと大学時代にお世話になったゼミの教授のことを思い出した
当時とてもお世話になり、僕もすごい尊敬していた教授である
僕はその時はあまり気にしていなかったのだが、よく考えると、その教授に与えてもらったこと、期待してもらっていたこと(期待してもらっていたと自分では勝手に思い込んでいる)に対して、僕は成績や就活の結果などで、それに応えきれないまま卒業してしまったなと思った
そしてその事に卒業して何年も経った今、なぜ今思い出したのかは自分でも分からないが、それに気づいた
つまり、僕にとってその教授は、
「与えたものよりも受け取ったものの方が多かった他人=お世話になった人=自分が与える義務がまだ残っている人」
なのではないかと考えた
そして、そう考えるとこの10、20年をざっと振り返っただけでもめちゃくちゃたくさんの「お世話になった人」が頭に浮かんできた
あぁ、まずはこの人たちなのかなぁと僕は思った
つまり、
①'自分は今までお世話になった人に何をしてあげたいのか→恩返しの発想
②'自分は今までお世話になった人からどのような人間だと思われたいのか→認めてほしい願望
であり
①''自分は今までお世話になった人に恩返しをするとしたら、どのようなことをしたいのか
②''自分は今までお世話になった人に認めてもらおうと思ったら、どのような人間になればいいのか
というふうに砕いて考えることができるのかなぁということだ
もちろん現実的にそのお世話になった人たちに対して具体的なアクションをしなければならないというわけではないが、その人たちの存在を頭の中に描きながら考える
そんなことをやってみようかと思ったのだ