20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

僕と日本とアジア

まだまだ圧倒的に勉強不足であるが、アジアについて勉強している

アジアって何?どこからどこまで?ヨーロッパとの関係は?何が違うの?などなど、歴史的な経緯も辿りながら、洋書と格闘しながら学んでいる

多分アジアという言葉に対しての解釈も人によって様々だと思う

資本主義とか街づくりみたいな大きな意味を持つ言葉に対する解釈が様々なのと同じように、言葉としては普段当たり前のように使っているけれど実は非常に定義が曖昧な言葉なのではないかと思えてきた

今や僕は日本人だという事実も、定義を噛み砕いていくと、日本人って何?みたいな途方もない歴史とか哲学とか思想とかの旅に出ることになってしまいそうなのでやめておきたいのだが、なかなか不安定な土台の上に乗っかっている事実だなと思う

例えば僕が今このように書いている日本語というのも、元々は中国からやってきた漢字が起源になっているわけだし、日本人って大和民族とか言われるけど起源を辿れば色んなところからやってきた人の血が混ざっているようなもので、そこまで噛み砕く必要は無いかもしれないのだけど、要はアジアって何?を探究することが結局は自分って何?を探究することになっている気がして

そういうところが興味深く感じているのかもしれない

西洋と東洋みたいな感じでアジアはヨーロッパ(アメリカ)とよく比較される

しかし、今もなお西洋と東洋の境目というのは非常に曖昧だ

なんなら世界は西と東だけではない

常に我々の中のアジアは変容するし、アジアが変容するということはヨーロッパだって、アフリカだって、アメリカだって、世界中が変容するわけである

国境や文化や価値観を越えて、世界中みんなで同じ全く同じ認識を持つことはもちろん難しい

しかし、なるべくフラットに冷静に物事を捉えること、受け止めること、理解することはいつの時代にも、どこにいても大事なことである

ただ、事実として僕は日本という国の国籍を持ち、確かに世界中の人たちが日本だと認めている土地の上で生まれた

そして日本がアジアと一般的に認識されている地域の中にある一国家であることを世界中の人たちが認めているという現状がある以上、僕は日本人であり、アジア人であるのだ

様々な議論の余地はあるかもしれないが、まずは自分は何者であるかという至極シンプルながら人生をかけて追い求めるような問いに対して、まずはこの事実を出発点としてやはり考えていきたい

アジアを正確に理解したい、ひいては世界を正確に理解したい、さらにひいては自分という存在を正確に理解したい

うまくまとめられないが、今はそんな気分だ