20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

自分の悩みをただひたすら書くという自己中日記ですみません

前職で学んだ大きなことのひとつに

「王道を知る、型を知る」

というのがある

型を知らないうちは型破りではなく、ただの型無しだみたいな言葉とか

守破離とか

1万時間の法則とか

そういったものは、その世界のプロフェッショナルを目指す上で、また、その世界を理解していると胸を張って言えるようになる上で、守るべきものであり、従わざるを得ないものだということだ

僕よりも先人がいる世界、雲の上の上みたいなその道のプロがいる世界において、その世界の型は基本のようなものであるから、習得しない訳にはいかないということだ

さもなくば、いつまでもこちらは所謂型無しなのであって、毎回異種格闘技戦みたいな戦いを繰り広げなければいけないばかりか、その世界の人にいつまで経っても認められないという大きなハンデを負うことになる

 

が、しかし、今改めて思ってしまうことがある

型を習得するのに1万時間必要なのだとしたら、僕はそこにそんなに時間を費やすつもりは今のところ無いし、お利口な飼い犬みたいになるつもりは無いのである

 

これはただ単に型を習得することを疎んでいるのではない

これまでの少ない経験ではあるが、僕はその会社で、もしくはその業界で「誰もやったことないことを、自分のやり方でやる」ことができた時に最も結果を出してきたという事実がある

結果というのは売上や利益といった目に見えるもの、定量的な結果もそうだし、人間関係の構築や個人的な充足感、達成感といった定性的な結果もそうである

 

しかし、一方で上記の考え方はリスクが大きいことも承知である

ただでさえ、歳を重ねて教えてくれる人がどんどん減ってくる中で、こういった姿勢やスタンスは自ら成長の機会を奪うようなものだし、結果自分よがりになって、誰からも信頼を得られず、ひたすらに個人で異種格闘技戦に臨むような生き方になってしまう恐れが高いからだ

さらに言えば、自分のやり方でやって結果を出しましたというのは、実はその前段階に必ず誰かの影響や少なからずその世界の型に触れたことはあるはずで、そういった自分のために時間やリソースを割いてくれた周りの人のことを無視するような思考は僕自身も全く好かないし、自然と型の破片というか断片みたいなものが自分の中に積もっていたことに自分で気づいておらず、ただひたすらに浅はかだという以外の何でもないという、一周回ってただ自分の愚かさを声高に叫んだだけになる恐れが高いのだ

 

そういう考え方をすると、僕にリソースを割いてくれる人には少なからず感謝だし、恩返ししたいと思う

今は自分の能力が足りていないことも大きくて、つい上記のような自分にとって都合の良い考え方に誘惑されてしまう

いかんいかん

この日記を書いて良かった

 

脳ある鷹は爪を隠すという言葉があるが、タイムリミットも意識しつつ、ここぞという時のために爪は研ぎつつ、このまだ見たことない景色のスリルを味わいたいと思う

自分にとってのリスキリングでもあるのだから