20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

Passion First, Logic Later

自分の提案内容(こうした方がいい、ああした方がいい)の理由、経緯、背景を説明する上で、ロジカルな説明が求められることは言わずもがなである

そうしないと多くの人は納得しない

なので、この変化が激しく早い世の中で、よく言われるのは仮説思考であり、最短ルートでその時点での最適解に辿り着くというアプローチになるのだろう

非常に分かりやすいし、その通りだ

 

しかし、なんとなくモヤモヤするのは、そのアプローチに基づいた提案をすると、ロジカル故に首を縦に振る可能性は高まるのだろうが、なんだかそこには熱量的な何か、どこからともなく湧き上がってきた何かが足りなくなる気がして、ともすれば首を縦に振らざるを得ないみたいな事態になったりしないだろうかと思うのだ

 

なんか分からないけどやろう!みたいな、その人の感性、野生の勘、その人自身を体現してるとでも言おうか、そういった非常にポジティブで熱のこもった「なんとなく」が切り捨てられてしまっている感覚をおぼえるのは僕だけだろうか

 

そこに周りの人が理解を示してくれるかという問題はもちろんあるのだけれど、そこに熱量を投下し続けることはできるのかという問題はもちろんあるのだけれど、もちろんロジカルを否定する訳では全くないのだけれど、僕は何かそこに辿り着きたいというか、

Passion First, Logic Later

でいってみたいというか(もちろんPassionも結局はLogicalに説明できるのだろうが)

そんな気持ちになってしまうのである

 

非効率、非生産、非常識なのだけれど、大きな話でいくと僕はそこにポスト資本主義的な何かが潜んでいないかなと思っている