コロナがあって、アフター/ビフォーコロナ、withコロナという言葉が頻出しているが、それと同じくらいよく聞くのがニューノーマルという言葉だ
個人的には、コロナがあってもなくても、人々のノーマルは常に変化するものだと思っているのだが、今回のコロナでその変化のスピードが加速したということは言えるのではないかと感じている
そんな中で、今人々の間で変化が加速しているノーマルの正体を考えていきたい
ここ数ヶ月、私生活においては、コロナに関する情報とともに不要不急の外出の自粛が連日叫ばれたが、日本においてはその捉え方や行動規範、何がOKで何がNGなのかという価値判断基準の大部分はその人個人に委ねられることとなった
そして、普段の仕事面においても、多くの企業が想定外の在宅勤務に突入し、どうやって仕事をするかが個人に委ねられた
見えない敵、見えない恐怖との戦いと言われているわりに、公私ともにかなりの部分が「個人」の判断に委ねられているなという感覚を僕は感じたのである
そう考えると、日本において、今まで国やら政府やら企業やらが決めていたことが、かなり個人にシフトしてきているように思う
「自分以外の誰かが決める→自分が決める」へのシフトである
このシフトこそ、コロナによって加速した変化、ニューノーマルのひとつの側面なのではないだろうか
自分が決めることは、決断の自由を手に入れる反面、人のせいにできないという点で今まで以上にストレスフルで責任のある生活に変わっていく
これを突き詰めていくと、国が決めたから、法律で決められているから、会社の決まりだから、〇〇さんが言ったから、という言い訳っぽい理屈はもう通らない、仮にそれが通って後から問題が起きても誰も責任を取れない、というとてもストイックだけど責任の所在が明確で、個人の決断が尊重されるというノーマルへの移行が加速するということである
現在はそれこそ振り子のように、緊急事態宣言、外出自粛、在宅勤務だったここ2-3ヶ月の揺り戻しが来ているように思う
人々が街に出てき始めているからだ
ただこの揺り戻しは決して2-3ヶ月前の状態に戻ろうということではないし、戻りたくても戻れないものだ
ノーマルの変化とともに振り子の戻り先も変化するのだ
変化する先を見据えながら行動していきたい