20代と30代の狭間で

20代から30代に突入したとある日本人男子の雑記

ワクワクの正体〜具体編〜

前回やる前からワクワクすることが自分にとって真に大事なこと(こと=主に仕事の文脈で語っていたが、個人的な趣味など何か「やること」であれば幅広く適用されると思われる)だと説いた

 

であれば今の自分にとって具体的にそのワクワクすることとは何ぞや?

 

僕は

①「異文化に触れること」

②「ものを書くこと」

③「答えのないことを考えること」

だと説きたい

 

まず「異文化に触れること」とは何か?一般的には海外の文化に触れることを想像する人が多いと思うが、僕もその意味で言っている

海外との異文化交流はいつでもワクワクする

旅行でも出張でも、行き先がどこであろうと、僕は日本の国境を越えて異国の地に赴くということは楽しみに感じるし、ワクワクする

この時のワクワクとはどのような理由から芽生えるのか?

やはり以前にも似たようなことを書いたが、「より不確実性の高い環境下で未知との遭遇を果たせる」ことからワクワクが芽生えているのだと感じる

つまり「ここに行けばこれがあるだろう」という安心感とは真逆の、「ここに行くと何があるんだろう」という期待感と不安感の入り混じった何とも心落ち着かない感情が脳内を支配しているのだ

不確実であればあるほど、未知であればあるほど、僕は燃えてしまうタイプである

無理だということほど時間をかけても取り組んでみたくなる、どちらかというとそんな性分だ

なので逆に打算的であったり、結末が読めているようなことは苦手である

モチベーションが湧かないのだ

そんなことや、自分自身の生い立ちも相まって、「異文化との触れ合い」にいつしか魅力とやる気を感じるようになったのである

 

次に「ものを書くこと」であるが、これはかれこれ10年以上日記やらブログを書いていくなかで、ノートを開くと勝手に書きたいことや考えたいことが生まれるようになったし、勝手にある程度のところまではその自分が書いている内容に対しての思考を深掘りできるようになってきた

なのでワクワクを通り越したとも言えるのかもしれないが、やはり白いノートを開いて万年筆を手に持つと気分が上がる

僕はアナログ派である

 

そして「答えのないことを考えること」である

これは先ほどの書くことと連動する点もあるかもしれない

書くことが自由であるとき、つまり答えがないとき、僕の思考は最大化され、最もオープンな状態になる

ただ答えがないことを考えるのは同時に恐いことでもある

永遠に考え続けられてしまうからである

考えている時というのはまだ何も生み出せてはいない

言葉は紡いでいるし、考えを言語化することはできているのだが、何か具体的なアクションや行為にそれを落とし込むことはできていないという点で、この状態を永遠に続けるのは一切の生産を放棄することになりかねないからやはり恐いと感じざるを得ない

僕は僕の時間の中で僕のために僕自身で、問いに向き合い、思考を巡らす

そしてワクワクする

自分が自分で立てた問いに自分がどのように答えるかがワクワクする正体である

個人的にはこの問いへの答えを持ち合わせていないまま出発することに特に違和感を感じないが、感じる人もいるだろう

なのであくまでも私見だが、ワクワクの正体に迫っている